ここ最近仕事が落ち着いてすごく時間ができた。それ自体はいいことなのだが。
悪いことにすごくやる気が起きない。
途中まで読み進めていた本や、塩漬けしていた個人プロジェクトなどやるべきことはあるのだが一日のほぼすべてを睡眠に費やしてしまった。
ダメだなーとなんとなく思いながらも相も変わらず体は惰眠を貪っている。
なぜモチベーションが起こらないのか、どう行動したらいいのかというところをぼんやりと考えた。
まず何もやる気が起こらない、と言うのは言い換えると何も体験することがない状態とほぼ等しいと思う。
自分が富を得たり成長したりすることがない反面、失敗してリスクを負ったり気分が落ち込むこともない。
つまり何も変化のない平衡状態だといえる。
ではなぜ何も変化のない状態に身をおきたがるのかというと、単純に体験を積む行為自体がエネルギーを消費するからである。
いわゆる面倒くさい。ということである。
もうちょっと掘り下げると面倒くさいと思う理由がさらに一つあることに気がついた。
そもそもリターンを欲していない場合、リターンがほしいがそのリターンが得られないと思っている場合、または頭ではリターンが得られそうだと思っていてもその実体験を積んでいない(リターンを得られるという確信がない)場合には特に面倒くさいと感じる。
ようするに面倒くさいというのは行動コスト対リターンのパフォーマンスが悪いと思っている行為とも言いかえられる。
例えば仕事の依頼が来てそれに対応することを考えてみよう。
これは自分の中でこの行為を行った実績がある。その為行動コストは少ない。
また行為の対価としてお金を得られることが見込める。
その為リターンも得られるため、モチベーションは悪くなさそうだ。
じゃあコンビニにご飯を買いに行くという行為はどうだろう。
これも自分の中で行為を行った実績があるため行動コストは少ない。
またそもそも腹が減っているという原始的な欲求を満たすことができるためリターンを得られる。
また更に行動コストというものを分解して考えてみる。
行動が完了したとみなすのは、いわゆる目的が達成できたという点である。成功するとも言える。
対して目的を達成できなかった場合を失敗と定義しよう。
この時に今までに体験したことのない新しい目的地に達する場合は、当然そう安々とは行かないだろう。
こうすればうまくいくだろうという計画を練って実施する際には何度か計画通りに行かないこともある。
そのたびに計画を細かく修正しながら進める必要があり、成功(目的を達成する)ためには非常に労力を要する(だろうということを今までの人生で学習している)
対して失敗するのは簡単である。そもそも何もしなければいいし、計画がうまく行かなかった時点で諦めてもいい。
成功を得るためには全ての工程をこなさないといけないのに対して、失敗するのはいつでもできる。
対して一度成功した体験を再度実施するのは極めて簡単である。
どういうリスクが有りどうすればそれを回避できるかなどをすでに知っているからである。
で、話を戻してなぜ新しい行動する意欲が起きないかというとコスパが悪いと思いこんでいる点にあると解釈した。
成功して初めてリターンが得られる。失敗したことにより得られるものはないと思っている。
というわけで考え方を変えることにした。
まず失敗の定義であるが、細かい点でうまく行かなかったとき(仮にこれを細かい失敗とでも呼ぼう)。これは失敗とは呼ばない。
目的を達成することを諦めた時点で初めて失敗と言える。
逆に細かい失敗は、成功とも解釈することができる。
なんでかというと、「目的に対してこういう計画で試してみたがうまく行かなかった」というリターンを得られたと解釈できるから。
最終的な成功に向けて計画を修正すれば良い。
人間はDNAレベルでじっとはしていられない。
日々成長できる何かがあればそれは十分に価値があるリターンと言って良い。
新しいことをやる際には、細かい成功体験を積み重ねていくしかない。
むしろ新しいことをやる際の細かい失敗に対応する体験が一番のリターンだ。
同じところぐるぐる回っているだけじゃ面白くないでしょう。
同じことを繰り返し続けているのはそれこそリスクだ。
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